宇治田原は、日本のお茶に革新を起こした「日本緑茶発祥の地」
江戸時代に「永谷宗円」が現代の緑茶製法の礎となる青製煎茶製法を開発した地、京都・宇治田原。
京都市内から車で約50分。小さな山々に囲まれた宇治田原町のいたるところにはお茶畑が広がります。
- 永谷宗円(ながたにそうえん)生家 ※日本遺産認定
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日本緑茶の祖と呼ばれる永谷宗円は、宇治田原町湯屋谷生まれ。元文3年(1738年)に、新芽の茶葉を蒸し、焙炉(ほいろ)と呼ばれる器具の上で茶葉を手揉み乾燥させる青製煎茶製法をこの地で考案し、現在の日本緑茶製法の礎を築きました。復元された生家の内部には、製茶道具や当時の焙炉跡が保存され、土曜、日曜、祝日は内部を公開しています(平日は要問合せ)。
この生家をはじめ、茶畑や茶問屋、茶農家が混在する湯屋谷の町並みは、平成27年4月「日本遺産」第1号に認定されました。
- 大福谷(おおぶくだに)の茶園
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宇治田原町で茶の栽培がはじまったのは鎌倉時代。名僧・明恵上人の弟子によって栽培方法がもたらされ、霊峰・鷲峰山のふもと「大福谷」に最初の茶の種が植えられました。
大福谷は地味・気候ともにお茶の栽培に最適で、お茶の味も優れていたので、大福の穂先茶は宮中や鎌倉将軍へも献じられ「もっとも茶香深し」と賞賛されるほどだったそうです。